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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

さばとら猫とひきがえるの事

雑記

実家はとても田舎だったので、どこからともなく猫が湧いてきた。そういった猫は、ときには段ボールに詰め込まれて、ときには裏の林の中で、私たち住民に発見された。雨の夜、必死に声をあげる猫を無視することはできなくて、懐中電灯とにぼしを持って「チチチ」と言いながら、探し回ったことが何度もある。

さて、さばとら猫の「リン」もそんな経緯でやってきた子猫だった。どこからともなく湧いてきて、うちの納屋に住み着いたのである。当時うちにはすでに2匹の猫がいて、祖父は猫が嫌いだったから、新たな子猫は歓迎されなかった。ところが弟はひそかに子猫を奥へ隠し、先住猫のエサを盗んで、この猫のことを養育していたのである。

それが判明したときには、祖父の手によって子猫は追い出されそうになった。それをなんとか、私と弟がお年玉を出し合って、去勢費用を出すということで説得したのである。折れた祖父が首をタテにふったので、私は猫に謝りながら、近くの動物病院へ連れて行った。なんだか非道なことをしている気がして、心が重かったのを覚えている。

ところが驚くことに、猫はすでに去勢済みのオスだった。去勢までしておいて、裏の林へ放ったのか、それとも迷子になったのか。それは今でも分からないが、探しているふうな貼り紙はなかった。それでそのままうちの猫にした。あわてて名前も変更した。「エカチェリーナ」という名前にしていたのを、「凛太郎」と改めたのである。

凛太郎は鍵しっぽで、高い声をしていた。高齢の三毛猫にじゃれつきに行っては、しょっちゅう威嚇をされていた。やせっぽちで、寝相が悪く、椅子で寝ては尻から落ち、「わけがわからん」という顔で呆けていた。あまり抱かせてくれはしなかったが、祖母のヒザは好きだった。ストーブの前で撫でられながら、高い声で「ニャアン」と鳴いていた。

祖母は猫を撫でながら、しきりに話しかけていた。
「生きてこの世に生まれたからには、幸せにならな、あかんわな」
撫でられるがままの猫は、満足そうにしている。

祖母は私にも話しかけた。
「あんた、猫が好きやねんな。生き物には親切にしとかなあかんで。あんたがこないして、猫を大事にしとったらな、あんたが死んだとき、ちゃんと教えてくれるんや。『こっちですよ』言うて、あんたをええとこに連れてってくれるんやで」

祖母の言葉に、若い私はふうん、と返したけれど、今から思えば、なんともあたたかい死生観ではないか。

「生きて生まれたからには」という言葉は、猫以外にも、いろいろなところで登場した。
たとえばそれはひきがえる。ホテイアオイの鉢の中に、ある日一匹のひきがえるが住み着いたのである。

祖母は初め、「なんやの、気色悪い」と悲鳴をあげていたものの、出掛けたかえるが律儀に戻るのを見かけるにつれ、「あんた、こんなん食べるか?」と言って、コイの餌を分け与えるようになっていった。最終的には、「こんなんでもな、毎日一緒におったら、可愛いもんやで」と言っていたのだから、心境の変化には驚かされた。

祖母のもつ生き物へのまなざしは、私の中にもしっかりと息づいている。「生きて生まれたからには、幸せにならなあかん」。不運なことに、交通事故で命を落としたリンは、果たして幸せだったのだろうか。きっとその答えは、私が死んだあとにこそ分かるのだろう。これまで私が関わってきたいのちと、「あの世」でまた巡り合えることを、今はほのかに期待している。