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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

方言調査に見るアイデンティティ

雑記

一般に言語というものは、その人のアイデンティティの一角を担うものだといっていい。今でこそ「標準語」が一般的となり、人の往来も増えたことで、「共通語」としての東京方言が台頭してはいるが、いくら身なりを整えたところで「ぼろ」は出る。思わぬところで「めばちこ」などと言ってしまい、ああやはり私は近畿出身なのだなあと感じることになるのである。

以前私は、アイデンティティというものは、なんとなく、年を食った人ほど強いものだと感じていた。無意識の間に「若者 = 無垢」という正当化が根付いていたのかは知らないが、なんとなくそういう「ネチョッ」としたものは「年寄りのもの」という偏見があったのだろう。だから勝手に、方言への思い入れも、お年寄りのほうがきっと強いはずだなどと考えていたのである。

ところがそれが覆ったのは二十歳の頃だ。私は方言学の授業を受けていて、「自分のことば」についてのレポートを作成することになった。

これは調査の準備体操みたいなもので、要するに、周りの人を三人選んで「自分のことば」に対するイメージを聞いていくレポートである。
調査方式は質問紙。1〜5までのグレードが設定してあり、「やさしい」「きれい」「親しみがある」などといった項目について、同意するかしないかを答えてもらう。

私の場合、近くに格好の協力者がいた。それは祖父・父・弟という、三世代の男性である。生まれたときからその土地に住み続けている人のことを「生え抜きの話者」と呼ぶのだが、生え抜きの話者が三世代、しかも男性で揃っているのだからちょうどいい。私は三人に依頼し、順番に質問を投げていった。

冒頭で触れたとおり、この時点では、私には「思い入れを持つのは年寄りだろう」という思い込みがあった。

祖父は生まれてこのかた、隣の町にある工場へしか通勤したことがない。
父親は、大学こそ隣県の大学に通っていたものの、職場は家から徒歩数分である。
いちばん活動範囲が広いのはやはり弟で、自分のバイクで遠くまで遊びにいく。友人にしても、遠い県の子がたくさんいる。そんな青春を送っているのだから、きっとこの町や方言には大した思い入れがないだろう。そう思っていたのである。

ところが結果は、私の予想を大きく上回るものとなった。

「ほんなら教えてね。おじいちゃんは、自分のことばを『やさしい』と思いますか」
「やさしい……うーん……いやあ……?分からん」
「分からんか。ほんなら次。『きれい』と思いますか」
「きれい……?いや、あんまりきれいことはないんちゃうか……分からん」

次々と繰り出される質問に、祖父はだいたい「分からん」と返した。
「きれい」「汚い」という尺度には「あんまりきれいことないんちゃうか」と答えたが、これは、祖父の中では「きれいな言葉」が「NHKみたいな言葉」と同義だからである。

さらに「親しみを感じるか」などについては、「そんなもん、考えたことあらへん」と答えた。知っている言葉が、いささか権威的な「NHKの言葉」しかないから、そもそも比較して考える機会がないのである。

そうなると、誰が一番強い反応を示すか。そう、その答えこそは「弟」なのである。

「自分の言葉は『きれい』ですか」
「ええ?大阪弁なんかきれいちゃうやろ!」
「自分の言葉に『親しみを感じ』ますか」
「まあ、そら自分の言葉やから好きやな!」

弟は、自分の言葉を「大阪弁」と称した。ちなみに、祖父は自分の言葉について「ここらへんの言葉」という呼称を使う。

全国各地の知り合いがいる弟には、すでに「日本」という抽象的なマップが設定されているのである。そしてその中において、自分の出身地を規定することが行われるのだ。
一方で祖父は、そもそも遠くへ行くことがないから、「ここらへん」「遠いとこ」という区別しかもたない。方言に関しても、「ここらへん」「NHK」という区分しかもたないのだと考えられる。*1

この事例から分かることは、私たちは他者に会ってこそ、自分のアイデンティティを確かめたくなるのだろうということだ。

自分と違う他者がいるから、自分自身の姿が見える。それは一方で楽しくもあり、怖くもある体験だ。しかしともかく、出会いの数が増えれば増えるほど、自分自身に対する疑問も深くなる。あいつはああいうやつだ。では私は?そういう問いの機会が、増えていくのだろう。

今、何かと「アイデンティティ」という言葉がホットなのも、きっと出会いの数が増えたからなのだろう。インターネットを介してどこまでも遠くとつながれる。その環境は、人を豊かにもさせ、同時に不安にもさせる。だから自分探しは終わらないし、なにか奇抜なことをして、絶対にゆるがぬ「自分」を作り上げようとするのだろうか。
そんなことを考えている。

*1:なお、中間の世代である父親はやはり、中間的な答えを示した。結婚相手である母親が、四国の高知出身だったことも影響しているのかもしれない。