読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

志賀直哉『城の崎にて』に流れる死生観

雑記

老いと孤独と死のことばかり考えている。私が死を想うとき、いつも心に浮かぶのが、志賀直哉『城の崎にて』である。高校を出るまでに教科書で読んだ作品の中で、およそ『城の崎にて』ほど心に残ったものはなかったろう。それくらい、私にとっては愛おしく、美しく感じた随筆だった。

もっとも、明るい話ではない。電車に跳ねられて大怪我を負った筆者が、湯治のために城崎を訪れ、めぐり遭うものにムニャムニャと思索をめぐらしながら、ひたすら死について考えるような随筆だ。ところがその描写の細かさには、ちょっと書けないような繊細さが備わっている。構成もはっきりしていて、あれを教材に選ぶのは、なかなか慧眼だと思わずにはいられない。

死んでしまったはち、なぶり殺しにされるねずみ、筆者の殺したいもり。
そんな生き物たちの死を目の当たりにして、志賀はどのように死を想ったのか。今日はそんなことを考えてみたい。

導入部

山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。(中略)兎に角要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上――我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。

『城の崎にて』の導入はひどくあっさりしている。「それで来た。」という書き口など、いかにも不承不承というか、どうでも良いのだという感が伝わってくる。

話し相手のいない志賀は、「読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で」過ごすのだが、散歩をしながらだんだんと、死への想像を膨らませていく。

自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ている所だったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷も其儘で。祖父や母の死骸が傍にある。(中略)それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か?――今迄はそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。

導入部での、志賀のもつ「死」のイメージはこんな調子だ。人はいつかは死ぬのだろうが、それは「知らず知らず遠い先のことにしていた」。

個人的には、この「していた」という表現が良い。よく分からないけれど、いつかは自分にも訪れるもので、それは少し怖いが、まぁずっと先のことだろう……という現実逃避の気持ちが、この「していた」に集約されている。自分で文章を書く人ならわかると思うが、こういったモヤモヤした考えは、とても実体が捉えにくく、したがって書き表しにくいものである。モヤモヤしたものをモヤモヤしたままで、しかし何なく文章にしてしまう。これには「さすがは志賀直哉」と思わされる。

さて、志賀は偶然に死を逃れた自分について、ロード・クライヴを引き合いに出し、何らかの運命が、自分を生かした可能性を考えてみたりする。
ところがそんなポジティブ思考は志賀には合わなかったらしく、

然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。

と言う。志賀がここで抱いた「死に対する親しみ」は、これから先のキーとなっていく。

はちの死

志賀の滞在する部屋は二階で、窓の近くにははちの巣があったらしい。志賀はその忙しない動きを仔細に観察することで、束の間の退屈を慰める。

ところがある日、志賀は一匹のはちが死んでいるのを見つける。

或朝の事、自分は一疋蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。

さらに志賀は、その様子を生きたはちと対比してみせる。

他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯向きに転がっているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。

もはや動かぬ死んだはちと、あいも変わらず忙しない他のはち。なんとも寂しい対比ではないか。
しかし人間に置き換えても、この対比はそのまま保たれるような気がする。仮に私が死んだとしても、満員電車はあいも変わらず満員だろうし、四条通は混雑しているのだろうな……と、そんなことを考えてしまう。これは私の推測だが、おそらく志賀も、そんなことを考えたのではないか。

そして志賀は、はちの死を「静かなもの」と感じ、「自分はその静かさに親しみを感じた」と記述する。

ねずみの死

はちの死と出会ってからしばらくして、志賀はひとつの光景を見かける。それは、川べりで何やら騒ぐ人々の姿であった。何を騒いでいるのかといえば、ねずみを川の中へ落として、なぶって遊んでいるのである。

鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に7寸ばかりの魚串が刺し貫してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上がろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々当らない。(中略)鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった。

残酷な話だ。本筋とは関係がないが、こんなことをするやつは地獄で永遠に苦しんでほしい。
とまぁ、この嫌悪感は無理やり脇へ置いておくとして、志賀はこのねずみを見て、ひとつの恐怖心を抱く。

自分は鼠の最期を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。

ここで注目すべきなのは、「あれが本統なのだと思った。」という部分だろう。

思い出していただきたいのは、導入部における死へのイメージだ。志賀が当初、抱いていたそれは、いささか幼稚でファンタジックなイメージであった。
「よく分からないけれど、墓で家族と眠るような感じかな」とでもまとめられるイメージで、それゆえに志賀はそれほど恐怖せず、むしろ「親しみ」を覚えたのである。

そのイメージが劇的に変化したのが、ここで出会うねずみの「動騒」だ。喉元へ串を刺されて水へ放り込まれ、それでもなお、投げ込まれる石から必死に逃れようとするねずみ。それはまさに、「死ぬに極まった運命」であろう。そんな運命を前にして、なお必死にもがいて死を免れようとする、その「動騒」に、志賀は恐怖を覚えるのである。

今自分にあの鼠のような事が起こったら自分はどうするだろう。自分は矢張り鼠と同じような努力をしはしまいか。

実際に志賀は、自分が怪我を負ったときには、やはり慌てふためいたらしい。病院を指定し、怪我の具合をたずね、そして今まさに湯治にも来ている。やはりねずみの「動騒」は、志賀にもあったのだ。

志賀は、先ほどまでの「静かさ」とは対照をなす、この「動騒」を目の当たりにして、

で、又それが今来たらどうかと思って見て、猶且、余り変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で希う所が、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のない事だ。

と一気に書き連ねる。句点による息継ぎもせず、不完全なままで書かれたこの文からは、志賀の恐怖や焦燥、そしてそれをなだめようとする理性が、ひしひしと伝わってくるかのようである。

いもりの死

さて、また別の機会に志賀は、一匹のいもりを発見する。このあたりの描写もいい。そろそろ引き返そうとしながらも、次の角まで、次の角までと歩いてしまう。ねずみの死が、きっと志賀をして思索に駆り立てたのだろう。

志賀はイモリやヤモリやについて何やらムニャムニャ述べたあとで、ひとつのいたずら心を起こす。

自分はいもりを驚かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振りながら歩く形が想われた。自分は踞んだまま、傍の小鞠程の石を取上げ、それを投げてやった。

志賀に悪気のなかったことは、「投げてやった」という表現からも明らかだろう。この間、なぶり殺しにされるねずみを目撃したばかりだというのに、自分も同じようなことをするのだから仕方がない。これもまた、人間の身勝手を感じさせる。
それはさておき、石は運悪くいもりを直撃してしまう。

最初石が当たったとは思わなかった。いもりの反らした尾が自然に静かに下りてきた。すると肘を張ったようにして傾斜に堪えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめってしまった。尾は全く石についた。もう動かない。いもりは死んでしまった。

志賀はこの光景を目の当たりにして、「とんだことをした」と思い、その場にしゃがみこんでしまう。そしていもりの死を、「いもりにとっては全く不意な死であった」とし、

いもりと自分だけになったような心持ちがしていもりの身に自分がなってその心持ちを感じた。かわいそうに想うと同時に、生き物の淋しさをいっしょに感じた。

と述べる。自分が殺しておいて、とは思うが、ここで志賀は、ねずみの示した「動騒」に加え、いもりの死における「偶然性」にも気付くのである。それは、「自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。」という記述からも明らかだろう。

結末部

いもりの死に出会ったあと、志賀は宿へ引き返しながら、それぞれの死体が今はどうなっているかについて思いを巡らせる。はちはもう流されて、土に埋まっているだろうとか、そういった想像である。

一方で自身に関しては、「そして死ななかった自分は今こうして歩いている。」とまとめ、

自分はそれに対し、感謝しなければすまぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧き上がってはこなかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。

と述べる。

こうして内容を追っていくと、志賀のもつ死へのイメージが、次々と変化していくのが見てとれるだろう。

当初、死へのイメージは「静かさ」であり、志賀はそれに「親しみ」を感じていた。
ところが死の前には、恐ろしい「動騒」があることもわかった。それに動揺する志賀は、最終的に死の「偶然性」に気付き、「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった」と結論づける。

この「両極」がよくわからない。生きていれば必ず死ぬのだし、それは偶然に訪れるのだから、考えても仕方がないということか。
もしくは、死があるからこそ生があるという意味なのか。死の可能性を内包してこそ、生が存在するということなのか。

志賀の至った結論は、私の頭にはよくわからない。
しかし、わからないなりにも、メルヘンチックな死への憧憬にとどまらない、志賀の思索過程が見えるように思えて、魅力的なのである。

志賀は『城の崎にて』を、こう締めくくる。

三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。

「助かった」という淡々とした報告からは、志賀の獲得した「死への受容」が読み取れる。そんな風に思ってしまうのは、私だけだろうか。

人は何があるかわからない。死はなんとなく、恐ろしいものだし、避けたいものだという感じがある。その一方で気分の沈むときにはついつい自殺を考えることがある。

そんな甘ったるい死への憧れを、志賀は見事に描いてみせる。しかもそれには飽き足らず、死の前に訪れる動騒や無常観さえも突きつけてくる。この深い思索は、私にとってひとつの道しるべとなり、死を想ううえでの重大なヒントになるような気がするのだ。

志賀の簡潔な筆致は、小説を書く上での理想という声もある。そんな名文で、死への想念を読む機会に恵まれたことは、たいへんな幸運に思われる。