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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

「内容量減らし」に覚えるわびしさ

雑記

少し前に、チョコレートムースか何かを作ろうとしたときのこと。ちゃんと分量は量ったはずなのに、なんだか以前と違う感覚がした。一体これはどうしたことか。

不思議に思いながら、明治の板チョコのパッケージを見る。おかしいなあ、あんた2枚分でよかったはずだよねえ。ところがそこに記されていたのは、驚愕の数値だった。1枚80gだったチョコレートは、いつの間にか65gに減っていたのだ!

以前、お菓子を作るときには、「板チョコ1枚 = 80g」という数値を覚え、それをアテにして分量を量っていた。そしてお菓子のレシピのほうも、板チョコを砕いて使うことを前提としていたから、分量は「板チョコ○枚分」という重さになるように調整されていた。

それが今ではどうしたことだろう。15gも減っているのだ。そりゃあ、以前と違う感触の生地にもなるし、味も変わる。なんだかとても、寂しい気持ちになって、この不景気の罪深さを嘆くほかになかった。

さて、この現象、実は「内容量減らし」という名前で呼ばれているらしい。景気が悪くなったために、本来であれば値上げをするべきところを、あえて「お値段据え置き」にする。とはいっても採算が合わなくなるから、ちょっとばかし量を減らす。そういうことらしい。

明治の板チョコにしたって、始めはきっと5gほどを「へつって」、価格を据え置いたのだろう。なるほど始めはそれでよい。消費者の側も、「5gくらい、分かるもんじゃないし」と思うだろう。安いほうがよいと、そう思うに違いない。

しかしそれを繰り返して、今では65gだ。これでは明らかに量が少ない。いろいろな場所で指摘されている通り、ポテトチップスなんぞは最早、空気を買っているのか、チップスを買っているのか分からない。

駄菓子にしても、明らかに個数が減った。「4行×4列」が、「3行×4列」だとか、そもそも「10個」だとかに減っているのだから、その見た目の寂しさといったらない。値段がいくらか上がるのと、見た目がこんなに寂しくなるのと。一体どっちがつらいだろう。

おまけにこの「内容量減らし」、資源の無駄遣いという感じまでするのだ。詳しくはこの、高校生の小論文がわかりやすい。

https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/concours_ronbun/2015/pdf/15ron008.pdf

容器の「上げ底」に関しては、前々から、目に余るものが多いと感じてきた。あるとき私がマグカップ入りのゼリーを買ったら、ゼリーが入ってるのは上のほうのわずか1.5cmほどで、残りは全て空洞だったことがあった。それでもこの商品は、食べ終わったあとのマグカップが価値の主体だからいいだろう。しかしお菓子の上げ底はどうか。無駄に包装ばかり増やして、こちらに手間とわびしさを与える。こんなことは、もうやめにしてもらえないだろうか。

以前、消費税が5%から8%になったとき、Twitterで見かけたのは、「みんながどこかで3%分、あきらめる生活が始まる」という言葉だった。3%分、あきらめる生活。随分しっくりくる表現だ。必要があって増税されるのは仕方がない。けれどもひとつの現実として、3%分、どこかでわびしい気持ちを抱えなければならない。これもまた、事実ではあるのだ。隙間の空いた駄菓子のトレイに。味の変わった手作りお菓子に。3%分のわびしさは、少しずつ私たちの生活を取り巻いている。