読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

「京大100人論文」を見てきた

雑記

先週は、「京大100人論文」の展示を見に行った。これは異分野コミュニケーションを活性化するための試みで、総長裁量経費事業として行われているらしい。

http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/

詳しい説明は上に示したWebサイトを見ていただくとして、今日はその感想をまとめてみることにする。あと、念のために、「部分的に批判めいたことも書いたが、私は基本的にすばらしい取り組みだと思っている」ことを前置きとする。

「京大100人論文」の概要

さて、この「京大100人論文」、応募者はまず、以下の3点についてテキストにまとめ、インターネット上から応募する。

  • 自分はこれをやっている
  • こんな人材・アイディアを求めている
  • 自分はこんなことができる

すると、応募者の中から100人(=100のアイディア)が選ばれ、この会場に掲示される。

一方、展示を見にきたほうは、会場の入り口で名前や身分を登録し、個別の番号と付箋紙をもらう。そして展示を見て回りながら、「自分ならこれが提供できる」「こういうアイディアはどうか」などのコメントを個人番号とともに付箋紙に書き込み、貼り付けるというわけだ。

展示期間が終わると、応募者と参加者のマッチングが行われ、晴れて共同研究なり何なりを始めることになる。言い方はアレだが、一種の「出会い系」といえば分かりやすいだろうか。

専門も身分もわからない

面白いのは、応募者も参加者も、展示期間中にはお互いの身分がわからないことだ。展示はただ、テキストを印刷したポスターが並ぶだけで、名前や身分はわからない。そしてコメントをつける参加者も、個人番号しか書き込まないので、やはり身分はわからない。

学生かもしれないし、先生かもしれない。まあ正直、内容を見ていれば「これは絶対、学生じゃないな」という掲示はあるのだが(「私はこの研究を15年続けており」とか書いてあるからね)、気後れやしがらみを感じることなく純粋にアイディアを見られる点で、いい工夫だと感じた。

テンションのバラツキが気になる

とはいえ。
正直なところ、「掲示のテンション」にはかなりのバラツキがあったように思う。「100人に達し次第終了」なのに、「100人に限りなく近い多数の応募、ありがとうございました!」と書いてあるあたり、もしかすると上限に達しなかったのだろうか。そのせいもあって、「選考された」というよりは「とりあえず貼った」という印象を持ってしまった。

たとえば、すべての項目において「学振の書類かな?」ってくらいキッチリした展示がある一方で、「みんなで集まってわいわいやりましょう」としか書かれていない展示もある。目的の部分には「大学教育の変革を促す」と書いてあるものの、方法論や具体性は?となると、かなり心もとない展示もある。

もちろん、「すべてを学振の書類レベルにせよ」とは全く思っていない。ゆるっとしたディスカッションから始めて、最終的には議論が盛り上がり、すばらしいアイディアが出ることだってたくさんあるからだ。下手に「求める人材」を限ってしまうより、バラエティに富んだメンバーを集めたほうが、アイディア出しがしやすいこともある。

しかし、そういったテンションの掲示がある一方で、「xxという現象についてyyという機械を使いzzという測定をしています」「aa理論に詳しい人、bbを使える人などを求めます」という掲示もある。

似たような雰囲気の掲示が集まっていればいいのだが、それがバラバラと並んでいて、見ていて頭が混乱するのだ。

厳密な展示を見て、頭が完全に「論文を読むモード」になったかと思えば、そのすぐ近くには「みんなでわいわいやりましょ〜」と書いてある。いちいちモードを戻さなければならず、だんだん読むのが疲れてくる。100人近い展示があるのだから、「テンション別のカテゴリ分け」とかしてくれていたら、読みやすいかなとも思うのだけれど。

人文系研究者が協力できることはあるのか

私は一応、人文系の院生である。こまかい専門は伏せたいので、「文学や芸術に近い分野」としておく。(ちなみに学部のころは、主に「日本文学」と「教育」について授業を受けた)

そういう立場で展示を見ていると、残念ながら、あまり協力できそうなものはないかな……と感じてしまった。うろ覚えではあるが、「アプリケーションの開発者」や「分析機械を使える人」、「統計のスキルがある人」などはよく求められていたように思う。

一方で文学系はというと、言い方は悪いが、「なんか情緒に関わりそうなやつ = 文学」というようなくくりで語られていたような気がする(私のうがった見方かもしれない)。
「よくわかんないけど、文学?とかじゃない?」みたいなコメントを何度か目にして、「うーん?」と首をひねってしまった。

もちろんここには、「私が判断できるのは、自分の専門に近い内容のみ」というバイアスがある。したがって、簡単に「文学だけがザックリ捉えられすぎ」などと結論づけることはできない。もしかしたら、ほかの分野に関しても、「機械?とか使うし工学系の人?なのかな?」みたいなザックリ加減なのかもしれない。

しかし残念ながら今回は、私が協力できそうな研究と出会うことはできなかった。
ちなみに「京大100人論文」のWebサイトにも、こんなQ&Aがある。

Q. どの分野でも参画可能か? 自分は人文系研究者だが・・・
A. いうまでもなく全分野が対象です。人文系研究とのことですが、昨今、人文系の知をいわゆる理系の人々が強く求めることも多くなっております。ぜひともこの機会を利用して、ご研究の幅を広げてくださいませ!

やはり、人文系研究者は不安を感じることが多いのだろうか。来年度はいい出会いがあればいいなと思う。

分野横断の重要性と難しさ

「京大100人論文」は最近になって始められた試みだ。最近では、研究者コミュニティの「タコツボ化」*1が指摘され、懸念事項となっている。そういった問題を解決するために、こういった取り組みがあることは素晴らしいと思う。

ただ、やはり「分野横断」は簡単には行かないのだな、というのも強く感じた。先ほどの節では「文学がザックリ捉えられすぎ」と言ってはみたが、かくいう私がほかの専門にどのくらい詳しいかと言われれば、正直なところ疑問である。
「ほかの分野を知らなければ、適切なリクエストが投げられない」のに、「適切なリクエストが投げられないので、ほかの分野について知ることができない」のだ。

思うに、異分野交流というのは難しいものだ。前提知識のレベルが違うと、どうしても説明が煩雑になり、話すコストが高まってしまう。専門用語をひとつ言うだけで説明できる内容を、十も、二十もの言葉を重ねて、時間をかけて説明しなければならない。

研究者はもちろん、自分の研究を誰にでもわかるように話さなければならない。「私の言っていることがわからないのは、あなたのせいだ」などと言うのは大きな間違いだ。

とはいっても、やはり人間、コストの必要な行動は面倒くさいものである。同じ分野の研究者なら、「xx現象が面白いんすよ」「わかる」の会話で済むものが、専門外の人に話すには「xx現象が……あっ、xx現象っていうのはaaがbbになることで……それであの……普通はxx現象はyyなものなんですけど……」となってしまう。

頑張って説明したところで、「で、それの何が面白いの?」と言われてしまうこともあり、最終的には「面白いから面白いんだい!」と子供じみた態度を取りたくなる。良いか悪いかは別として、「タコツボ化」にだって理由はあるのだ。いやあ、どうしたらいいんだろう。

最後に

研究者同士の「出会い系」は、これから先、一層つよく求められるだろう。現在では、ほかの大学の研究者と出会う機会は、研究会や懇親会くらいしかない(少なくとも私の分野では)。

こういった場は、そもそも同じ分野の人しか来ないし、時間も限られている。雰囲気もあまり軽くなく、結局「いつものメンバー」で集まって、バイキングのサーモンを食べ続ける時間になりがちだ。

今はせっかくインターネットもあるのだから、もっと気軽な「出会い系」があってもいいのかなとも思う。researchmapORCIDは、「とりあえず登録はしておけ」というハウツーは多いけれど、実際に活用している人を見たことがない。かといってTwitterでは、プライベートとオフィシャルの線引きがしにくく、無用なストレスを抱えがちだ。
もっとこう、気軽で、気兼ねなく、いろいろできるSNSがあればいいのだろうけど……。

一体全体、どうすればいいんだろう。いや、それこそ「京大100人論文」に応募して、人を集めて作っちゃえばいいのかな。来年度までにもうちょっと考えてみよう。以上、感想をまとめてみた。

*1:自分の専門コミュニティに閉じこもり、ほかへ出ていかないこと。