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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

アジアの魔窟「九龍城」が好きだ

九龍城が好きだ!誰がなんと言おうとも。「東洋の魔窟」、アジアンカオスの総本山。実際に暮らした人がいるのだから、こういう表現をしてもいいのか迷うけれど、やっぱりロマンのある場所だと思う。というわけで、図書館でこういう本を借りてみた。

blog.lv99.com

この本は、写真家である著者らが実際に九龍城内へ行き、住人にインタビューをした内容を写真とともにまとめたものだ。そこでの歴史や環境についても整理されており、ネット上の雑多な情報だけでは掴みにくい、九龍城の「全貌」をなんとなくつかむことができる。

インタビューの対象も、単なる住人から工場のオーナー、歯医者、自治組織幹部、宣教師、「外」の警察、元ヘロイン中毒者……と幅が広い。九龍城に抱く想いもさまざまだ。

のちに詳しく述べるが、「取り壊しの決まった九龍城に、各構成員がどのような考えを持ち、どのようなアクションをとったか」という点がとくにおもしろい。我々の所属する社会がいかに一筋縄ではいかないかを感じさせてくれる。結果的に、「コミュニティとは何か?」という、より一般的な問いを考えるきっかけになった。

今日はこの本の内容にも触れながら、九龍城について書いてみる。

Photo credit: 準建築人手札網站 Forgemind ArchiMedia via VisualHunt / CC BY

「九龍城」誕生の歴史

九龍城砦、通称・九龍城とは、香港にあったスラム街のことだ。かつては「九龍寨城」という要塞だったものの、歴史の流れに翻弄されるうち、どこの法も及ばない「無法地帯」となる。

そこへ起こる中国の内戦。難民は逃げ場を求め、どこの政局もおよばぬ九龍城を目指した。
当時、すでに九龍城からは壁がなくなり、誰でも入れるようになっていた。ぞくぞくと建設されるバラック住居。こんな経緯で、九龍城の形は出来上がっていったらしい。

かえすがえすも、すごい偶然だ。歴史を追いかけていると、たまにこういう「エアポケット」に落ちた空間が出現することがある。どこの司法の手の及ばない場所。そんな空白地帯で、増殖を続けるスラム街。密かにファンが多いことは、こんな曲が発表されていることからもなんとなく伺い知ることができる。

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じつに3万3千人が、ひしめき合うように暮らした九龍城。しかしそれももうない。香港の中国返還とともに、用済みとなった九龍城は取り壊されてしまったからだ。世界屈指のスラムが、一体どんなすがたをしていたのか。そんなことに思いを馳せてみたい。

「九龍城」内部の概要

九龍城の内部は、いったいどのようになっていたのだろうか。冒頭で挙げた本を引用しながらまとめると、こうだ。

「悪事」について

九龍城はかなり珍しい無政府主義社会のモデルである。だが無政府主義だからこそ、悪事の温床ともなった。犯罪は頻発し、中国人の秘密結社はここに拠点を置いて、売春宿、アヘン窟、賭博場などで荒稼ぎをした。

「中国の悪いイメージが詰め込まれている」という評価もあるように、やはり最初は犯罪組織が牛耳っていたらしい。「みかじめ料」を要求されたとか、ナイフで脅されたといった記述がちらほら出てきた。
こういった悪いイメージから、「外」の学校へ行った子供が偏見の目で見られることも多かったようだ。

ただし証言によると、こういった「悪事」は徐々に減っていったとある。売春宿も最終的には1軒を残すのみとなり、盗みや恐喝もほとんどなくなったそうだ。「みんな顔見知りだから、悪いことはできない」という証言を何度か読んだ。コミュニティの固定化とともに、「なんでもあり」の雰囲気は薄れていったのかもしれない。

「工場」について

Photo credit: 準建築人手札網站 Forgemind ArchiMedia via VisualHunt / CC BY
Photo credit: 準建築人手札網站 Forgemind ArchiMedia via Visualhunt.com / CC BY

1940年代、50年代にやって来た何千もの人々は水を得た魚のごとき住みやすい環境を得た。ここでは中国人に混じって、中国人として暮らせる。税金はかからず、政府などの圧力に苦しめられることもない。家賃も安く、ビザや各種許可証、労働条件や賃金などについてとやかく言われることもない。

九龍城は住居ばかりかと思いきや、金属加工やゴム加工、繊維、製麺、製菓などを行う各種の工場があった。
そこで作られた食品は城内で消費されるだけでなく、「外」の世界にも輸出され、相当な売り上げがあったという。場所代の安さを理由に、純粋に「商売の場所」としてここを選んだ「外」の住民もいたらしい。

「医者」について

Photo credit: randomwire via Visual hunt / CC BY-NC-SA

城内には中国で資格を取得した経験豊富な医者がたくさんいたため、医者や歯医者にはまったく困らない。彼らは金銭的理由から香港での開業免許を取得できなかったので、城内に小さいながらも整然とした診療所を構えていた。患者が負担する費用は、市中の病院よりはるかに安い。

このように、城内には医者も多かったそうだ。入れ歯に至っては「外」からも発注があったという。逆に難しい治療は「外」へ行くよう指示していたというから、上手に「外」との住み分けがなされていたように思う。

住人たちの証言

冒頭で触れたように、この本では様々な立場の人がインタビューを受けている。証言に共通して出てくるのは、「大哥(ダイコー)」「ヘロイン中毒者」「水」というワード。これらは証言者の立場を超えて、共通の関心事だったようだ。

「大哥(ダイコー)」は「ビッグブラザー」という意味で、どうやら九龍城をシマとするギャングらしい。なかなか幅を利かせていたようだが、その全貌は、この本を読んだだけでは分からなかった。

一方「ヘロイン中毒者」に関しては、ギャングの「大哥」よりもむしろ恐れられていた節がある。住人の証言にも「大哥」以上によく登場した。「薬欲しさに、何をしでかすかわからない」という恐れがあったのだろうか。

最後に、「水」問題はかなり深刻だったようだ。過密人口の九龍城に対し、使える井戸の数はほんのわずか。おまけに汚水や廃棄物は垂れ流しだったらしく、井戸の水も次第に汚染されていったという。城内は湿気がひどく、上から降り注ぐ汚水を避けるため、傘をさして歩かなければならなかったというからすさまじい話だ。

「取り壊し」について

そして何より、全員に共通する関心事はもちろん「取り壊し」だ。
取り壊しが決まったことで、政府からは保障が出た。それは新しい住居であったり、保障金であったり。それに納得して、出て行った人もいたのだろう。

しかし当然、納得できなかった人もいた。九龍城にはすでに自治組織ができており、物件の取引や政府との交渉など、コミュニティ管理を担っていた。自治組織の一員として、政府と交渉をする住人。そんな自治組織に対し、感謝をする住人、不満を抱く住人。決して一枚岩ではないことが、インタビューの端々から伺える。コミュニティのもつ奥行きが、「取り壊し」というキーワードを軸に、とても分かりやすく可視化されているのだ。

アジアのもつ底力

この超高層スラムは、非常にアドホックな作り方によって建てられている。はじめは三階くらいのものを建てて、徐々に建て増す。そうすると建物が互いに寄りかかるようになって、高く建てられるようになるのだという。

寄りかかった建物を、住人は「恋人同士の建物」と呼ぶ。なんというポジティブシンキングだろう。本著の冒頭にはこう書かれている。

完全たる自給自足制の孤立した狭い無法地帯に、多くの人々が押し込まれていたが、彼らの胸にあったのは「生きのびる」ということだった。必要なものは、普通の人と変わらない。水、光、食べ物、そして場所だ。

まさにこれなのだ。私が九龍城に惹きつけられてやまないのは。

九龍城の住民は「わけあり」な人物が多い。内戦から、貧困から、孤立から、いろいろなものから逃れてここへたどり着いた。しかし彼らはそこで諦めない。たとえアドホックな解決策であっても、自分の力で場所を作り、たくましく生きのびる。

本当に、なんという力強さだろう。アジアの底に眠っていた、とてつもないパワーの源泉。そんなものの一端を、ここに見出せるような気がするのだ。

Photo credit: Time Pause via Visualhunt.com / CC BY-NC-ND