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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

編集者の「ノート」へのこだわり

出版小ネタ 雑記

ロフトや東急ハンズへ行くと、必ずと言っていいほど文房具フロアに行ってしまう。今の道具で足りないものはないのに、ついついいろいろ見てしまうのだ。さすがに大人になったから、「買う」という行動までたどり着くことは少なくなり、「ただ、見ているだけ」ということも多いのだけれど。

さて、そんな文房具の中で、特別こちらをわくわくさせてくれるのは「ノート」だろう。真新しいノートは、少しの緊張感とともに無限のクリエイティビティを与えてくれる。どんなことをしようかと、楽しい想像で頭がいっぱいになる。それは私の人生の中で、最も幸福な時間かもしれない。

ところでこのノート、よく人を観察してみると、かなり個性が出るものだということがわかる。

たとえば、私がアルバイトで勤務する編集プロダクション。
ここで編集職は、「まじめさ」と「遊び」がバランスよく求められる仕事なのだという。「まじめ」なだけで「遊び」がないと、つまらない本が出来あがる。その一方で、「遊び」ばかりで「まじめ」さがないと本としてまとまらない。

では、そんなバランスを上手に取りながら数々の書籍をまとめ上げてきた編集者は、どんなノートを使っているのだろうか?見せていただくと、本当にこれが個性的なのである。

たとえば、この道勤続25年、はんなりチーフの上司Aさん。柔らかな物腰で数々の難しい案件をまとめ上げてきた大ベテランだが、この方のノートは、ちいちゃな和柄ノート(A5サイズ)。以前はクロッキー帳を持ち歩いていたそうだが、重さが気になってやめたとのことだった。

それから、デザイン関係に造詣が深く、映像関係の仕事もなさっていた上司Bさん。この方のノートは、「とにかく無地がいい!」とのこと。罫線を気にすることなく、イメージ図や絵も加えながら自由に書ける。そういう点で、絶対に無地ノートがいいのだそうだ。

さらには、ノート自体のブランドにもこだわりがあるらしい。たとえばツバメノートや、ミドリのノート。そういった良質なノートを買い、表紙は好きなステッカーでカスタマイズ。それがBさん流なのだ。ノートには細かい字で、びっしりと出版計画やアイディアが書き込まれていた。

ちなみに、デザイナーのCさんのノートは、無地のリングノートを横倒しにして使っていらっしゃるようだ。まだお願いしていないのだが、編集者とはまったく違ったことが書かれているのだろう。今度のおやつタイムにでも、見せてもらえるようお願いしてみたい。

さて、では私はどんなノートを使っているか。いろいろ試したが、個人的なファイナルアンサーは「イオンで売ってる10冊180円のノート」だった。

この「18円ノート」は、その値段だけあって表紙がペラペラである。個人的には、これがいい。表紙の硬い本やノートは、なんとも勝手が効きにくく、ガンコ者を相手にしている気分になる。一方でこの安ノートは、ぐにゃぐにゃ曲がって扱いやすい。

そして何より、その圧倒的な安さは、こちらをまったく気後れさせない。私は冒頭で、真新しいノートをおろすときの気持ちを「緊張感とクリエイティビティ」だと述べた。高級ノートだと、この「緊張感」がクリエイティビティに勝ってしまうのである。自然と、高尚なことを書かなければいけない気持ちになったり、「こんなことはノートに書かなくてもいいかな……」とためらってしまったり。そういう気後れが、クリエイティビティを台無しにしてしまう。

説得力を持たすために、いくつか実例を見せようと思うが、私のノートは基本的に汚い。

とりあえず、その場で思いつくこと・得られる情報はスピード任せに書いてしまって、あとから清書すればいいやってな感じ。たとえば授業ノート。

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それから、友達と出した新規ゲームのアイディア。これは、キャラクター同士の関係について一緒に詰めていたときのページ。

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これは……たぶん「こういうクソFlashゲームとかあったらいいな」くらいの気持ちで書いたものだと思う。

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これはブログのネタ出し。近くにノートがなく、手帳のはしっこに書いたので、「ちょっとヨソ向きの字」をしている。

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私は基本的に、ノートはあとで清書をするためのものだと思っている。

「清書」という行為はデフラグにも似ている清書をしながら、要らない情報をそぎ落としたり、情報同士の関係を整理できたりする。だから授業ノートにしても、あとから見返して清書するほうが授業をよくよく理解できる。(授業中に出てきたわからない単語にしても、とりあえず書いておいて清書段階で調べればよい。)

それから、考えるスピードを邪魔しないこと。これがものを考える上では、かなり重要になってくる。ノートの値段に遠慮して、書くのをためらうようではいけない。とにかくガシガシと汚い字で書いていく。そういった私のスタイルに、一番合っていたのがこの「18円ノート」だったのだ。

だから私は、トピックごとにノートを分けることもしない。あとからの検索性は下がるが、余計なことを考えているとアイディアが逃げてしまう。こぼれ落ちていくアイディアをなんとか食い止めるためのツール、それが私にとってのノートなのだと思う。

それにしても、人のノートを見るのは楽しい。驚いたことに、みなさん、勤め始めてから今に至るまでのノートをすべて保管していらっしゃるのだという。私も一応、家にはとってあるが、デスクからドサっと古いノートが現れるさまは壮観だった。東大生のノートはうんたらかんたらみたいな本があったけれど、その編集者バージョンってないのかなあ。絶対に面白いと思います。