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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

『けものフレンズ』に見るポストアポカリプス考察が面白い

雑記

もう散々、言い尽くされていることかもしれないが、『けものフレンズ』がヤバい。

ある日のこと。私のTwitterが突如として「すごーい!」「たーのしー!」といったフレーズに支配された。「あなたはxxなフレンズなんだね!」とも。何なんだ。一体何が起こっているんだ。

しばし戸惑い、情報を追いかけたところ、それらのフレーズはアニメ『けものフレンズ』に関連したものだということがわかった。よくわからないが、「サーバルちゃん」という女の子と、「かばんちゃん」という女の子が出てくる、らしい。

「きらら系」という用語も見つけて、ああ、なるほど、そういうことね、と合点がいった。はいはい。可愛い女の子がホワホワしてる、ああいうやつね。

最近のアニメには、「可愛い女の子がホワホワしているだけのアニメ」というのが多数見受けられる。『ご注文はうさぎですか?』とか、『ゆゆ式』とか。これらのアニメには、「努力、友情、勝利!」みたいな「王道」展開は(たぶん)ない。あんまり詳しくないから、乱暴なことを言うと怒られそうな気はするけど。

私は正直、こういったアニメのことを「何が楽しいんだ?」くらいに思っていた。いや、だって、女の子が「太陽すごい!」とか言ってるだけのアニメだよ。*1可愛いよ。可愛いけどさ、24分間、集中力、もつかな……?

ところが、失礼を承知で知人に聞いてみると、この意見はどうやら的はずれであったことがわかった。
いわく、「アニメは帰ってきたあとに見るもの。疲れて帰ってきた大人にとって、『ストーリーを理解する』なんて行為は負担になる」とのこと。「女の子たちが楽しそうな光景を見られるだけで、癒しの効果がある」ともいう。

なるほどね。私だって、疲れて帰ってきた日には、ぼーっと水槽を眺めていたり、さして興味もないラブコメ映画を流すこともある。ああいったアニメというのは、つまりは「そういう」ものなのだ。ははあ、勉強になった。

……と、まあこういう風な理解があったので、『けものフレンズ』についても、はじめは同じ枠組みで捉えた。ケモ耳をつけた可愛い女の子たちが、「たーのしー!」とか言いながらなんかやってるんだろう。いいことだね。
それで私の興味は、いったん薄れた。

ところが、である。途中から、ちょっと事情が変わってきた。「#けものフレンズ考察班」なるタグを発見したのである。

おいおいおいおい。随分不穏じゃないか。

後出しにはなるが、私は「ポストアポカリプスもの」が大好きだ。文明が滅んだ世界に、なぜか一人だけ放り出される主人公。襲いかかる自然の脅威。そういう設定の小説や漫画には、どうしても惹かれてしまう。それは私が、現実に倦んでいるからかもしれないが。

ともかく、そういった事情から、とりあえずは視聴してみることにしたのである。

第1話の「視聴者厳選」

まず第1話。何らかの理由によって、何らかの世界にやってきた主人公。それを見つける「サーバルちゃん」。どうやらこの世界は「ジャパリパーク」という場所であり、サーバルちゃんをはじめとして、動物を擬人化した「フレンズ」たちがいるらしい。

しかし主人公に関しては、なんの動物だかわからない。羽根も生えていなければ、尻尾も生えていない。泳ぐことも走ることも飛ぶことも不得意なようだ。困ったサーバルちゃんは、主人公がかばんを背負っていることから「かばんちゃん」という名前をつける。そして「かばんちゃん」がどんな動物かを教えてもらうため、「図書館」を目指すのである。

……とまとめると王道冒険ストーリーっぽいのだが、正直言って、見るのがかなりつらい。なんだろう、展開のテンポが悪いのかもしれない。

あとは、キャラクターの表情・演技に起伏がないように思えてしまう。『けものフレンズ』は絵ではなく、3Dモデルが動くアニメなのだけれど、イラスト特有のデフォルメされた表現(顔が大胆に崩れるとか)に慣れていると、起伏が薄く感じてしまうのだ。「開始2分で視聴者を厳選」のゆえんはこのへんだろうか。

と、思えば、急に実写パート(動物園の飼育員によるサーバルキャットの解説)が始まる。すごいぞ。私は一体何を見ているんだ。
そのまま話は後半へ向かい、なんだかロボットっぽいのが出てくる。ちょっとだけ不穏な空気は感じるが、全くよくわからない。脳が混乱したまま、第1話は終わってしまった。

だんだんと怪しくなる空気

ところが第2話以降。だんだんと「文明のなごり」が登場するにつれ、空気が怪しくなってくる。箇条書きで説明すると、

  • 崩れた橋
    「ボス」が案内した最短ルートには橋があったが、それが崩れている。ボスはその光景を目にして、思考回路がクラッシュしてしまう。

  • 朽ち果てたバス
    パーク内を移動するバス。運転席と後部座席が離れていて、かなり古びている。

  • ロープウェー
    山の上に行くためのロープウェーだが、動いていない。

  • カフェ
    ソーラー発電で電力を生み出しているらしい。ソーラーパネルが無事なところを見ると、文明が滅んでからあまり経っていないのか?

  • 地下迷宮
    「ボス」の話すセリフによって、「アトラクション」と明言される。ただしその出口は、溶岩によってふさがれている。

とりあえず、思い出せる限りではこんな調子だ。こういった文明の利用方法を、「フレンズ」たちは知らないらしい。たとえば「バス」といった概念も理解していないらしく、上に乗ったり触ったり、ちょっとしたアスレチックのようにしか利用することができない。

バスにエンジンをかけたあと、電池切れですぐ動かなくなった状況にも、「死んじゃった?バス、死んじゃった?」「寝ただけじゃないか?」とのコメント。「機械じかけで動くもの」という概念が、フレンズには、ないのだ。

ポストアポカリプスものでは、こういった文明の残滓に直面した際、登場人物が発狂したり、争いが起こったりといった状況に追い込まれることが多い。仲間から犠牲を出しつつ、「文明がないとヤバい」という事実を見せつけられた上で、みんなで力を合わせて何とかしよう、という展開。

ところが『けものフレンズ』では、そもそも登場人物が文明の恩恵を知らない。だからパニックにもならない。「どうしたらいいんだろー?」とみんなで首をひねるばかり。荒廃した文明のグロテスクさと、可愛いフレンズたちのホワワとした態度。その対比が、なんというか、メチャクチャ不気味だ。これはなかなか面白くなってきたぞ。

「かばんちゃん」は何者なのか

さて、そもそも「かばんちゃん」とは何者なのか。

冒頭でも説明したとおり、尻尾も羽根も生えていない。泳ぐことも走ることも飛ぶことも得意ではない。ゆったりした動作は、サーバルちゃんをして「もしかして、ナマケモノのフレンズ?」と言わしめている。外見上の特徴、そして身体能力の低さを見ると、おそらくは「人間」だろうと思うのが、現時点での共通見解だろう。

しかしそんな「かばんちゃん」が、フレンズたちに対して優位性を発揮するタイミングがいくつかある。たとえば以下のような場合。

「かばんちゃん」もまた、ほかのフレンズと同じように、文明に関する知識はゼロの状態だ。バスを目にしても「乗り物」だと理解できず、そもそも「機械じかけの乗り物」という概念を理解しているかどうかも怪しい。

しかし、「ちょっと思いついたんだけど」ってな感じで、上記のようなアイディアを出し、ほかのフレンズに指揮命令を行って状況を打開することができる。
このような理由からも、おそらく「かばんちゃん」は「人間」という動物を象徴したものだと考えるのは妥当、な気がする。

ツチノコ」などのセリフから垣間見る世界観の切れ端

さて、「人類絶滅」に関して決定的な発言をしたフレンズがいる。「ツチノコ」だ。
そもそも「ツチノコ」はUMAである。その時点で一癖も二癖もありそうな予感がするのだが、実際、いろいろとほかのフレンズとは違った雰囲気を持っている。

たとえば「遺跡」「通貨」の概念を理解していること。「ボス」の発したアナウンスに反応し、「やはりこれは人を楽しませるためのものだったのだー!」と感動すること。そして何より、立ち去ったかばんちゃん・サーバルちゃんの背中に向かって、「あいつ、絶滅していなかったのか……」とつぶやくこと。

「絶滅」のワードを発したのは「ツチノコ」のみだが、ほかのフレンズのセリフを聞いていても、不穏な要素はそこかしこにある。たとえば以下のようなものだ。

  • 「フレンズ化」するとは何か?
    「トキ」が「動物だったときは……」と回顧していること、「スナネコ」についての「ボス」の言及などから、フレンズたちはもともと、本物の動物で、何らかの理由で「フレンズ化」したものだということがわかる。

  • 「今年の噴火で生まれた」とは?
    「かばんちゃん」は「今年の噴火で生まれたんだね」と言われている。フレンズたちは「噴火」で「生まれる」のか。

  • 図書館」とは?「博士」とは?
    「アルパカ」は「図書館」に行き、「博士」から教えてもらってカフェを開いたらしい。フレンズたちに知恵を授けてくれる「図書館」そして「博士」とはなんなのか?

これらの情報から考えてみても、おそらく「ジャパリパーク」は人工的な何かで、なんらかの理由によって文明が荒廃した世界であることはわかる。何より、廃遊園地の画像がえんえん流れるエンディングが、それを明確に示している。

「かばんちゃん」がガケを滑り落ちたときの砂埃がサンドスターであることや、セルリアンを倒すとブロック状になって消えること(映画『ピクセル』のような形)、アプリ『けものフレンズ』がすでにサービス終了していることなどから、こういった世界観を「サービス終了後のアプリの世界」と理解する向きもあるようだ。

私はアプリで遊んでいないので、それについてはよくわからないが、なるほど、そう考えるといろいろ筋が通るところもある。動物たちが美少女に擬人化されているあたりも、確かに現代のソシャゲっぽい。

SF好きならメチャクチャ楽しめる、闇のアニメ

さて、これらの要素をひととおり、確認した上で、このアニメについて再度、考えてみる。個人的にいちばん腑に落ちたのは、この方のツイート。

いろいろなフレンズと出会う中で、鑑賞者は「ヒトって結構、なんもできねえ生き物だな……」と思うはずだ。自然界の生き物には、驚くべき能力を持っている仲間がたくさんいる。身軽なサーバルキャット、泳げるカワウソ、家を建てられるビーバー。それらフレンズに比べて、「かばんちゃん」は可哀想なほど非力だ。

しかしながら、知識の取得・運用・伝達に関しては、「かばんちゃん」にのみ与えられた能力だ。ピクトグラムを読み解き、描く能力。ほかの動物に指示をする能力。これらは他のフレンズには与えられておらず、「かばんちゃん」特有の能力となっている。

ところが『けものフレンズ』の面白いところは、それを過度に神格化しないところにある。フレンズたちは「すごーい!」と褒めてはくれるが、過度に知性をありがたがりはしない。「だいじょうぶ、フレンズによって、得意なことは違うから!」と、あくまでもそれをフラットな「個性」としてしか捉えない。これが、よくあるポストアポカリプスものとは一線を画すところだと思う。

そしてさらに、この方のツイート。

ヒトの個性を「知性」だけにおかず、身体的能力(運搬)にも見出している。個人的にはこれもまた、動物とヒトを区別せず、「フレンズ」として扱っていることの証拠ではないかと思う。ほかの動物と違っているところをフラットに捉え、「ヒトってどういう動物なんだろう?」と考える。そういう世界観なんだろう。

いやあ、なんというか、面白い。これからラストに向かって、どういう展開を見せるのだろう。ポストアポカリプス・ファンとして、ひさびさに熱い作品に出会った。たーのしー!

*1:ところで『ゆゆ式』は神。2期来ないかな。