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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

「発表中に泣く」問題について

雑記

これを書いてから一晩明けて、少しは気持ちも落ち着いたので、まじめに対策を考えてみることにした。

発表中に泣いてしまうのをなんとかしたい - 大学院生のブログ

これから先、この道を行く気が少しでもあるのだったら、この状況はかなりまずい。少なくとも、来週に控えた公聴会だけはどうにも回避することができない。解決策を考えるために、現状を整理することにした。

研究の話だけができない

私は普段、どちらかというとおしゃべりなほうだ。初対面の人とでも(疲れるけど)会話はできるし、そもそも昔は演劇部に入っていた。「人前で話す」のはむしろ得意なはずだ。

しかしなぜだか、研究発表だけができない。発表に限らず、研究の話をしようとすると、じわーっと涙が出てきてしまう。「この同人誌は神」みたいなオタク話は際限なくできるのに、研究の話だけができないのだ。これはかなり、まずい状況と言える。

原因はわかっている

こうなる原因は分かっている。研究発表には「責任」が伴うからだ。

研究発表というのは、自分が研究してきた結果、発見された事実なり仮説なりを発表する場だ。考えを発信するということは、当然ながら責任を伴う。

たとえばこんな発表をしたとしよう。

「近所のネコは2匹とも私になついています。だから世界中のネコは私が好きだと思います。さらにこの事実から、ネコという生き物は人が好きだという仮説が立ちました。」

当然、こんなロジックは通るはずもない。

「いや、『近所のネコ2匹』っていう対象の選び方はちょっとマズいでしょ」
「そのネコ2匹はなついてたとしても、あなたがネコ全般に好かれるっていう考察はおかしい」

などなど、いろいろと批判されることになるし、それが学問の健全な態度だ。

「批判されない研究」は「相手にされていない研究」であり、その研究の与えるインパクトが大きければ大きいほど、それを検証する人は増える。批判される機会は多くなる。そういうものだ。

だからたとえ、私の発表がメタメタに批判されたとしても、「正解に向かって圧倒的成長したな!ワッハッハ!」とか思っていればいいのだ。その日は酒でも飲んで寝て、次の日からまた頑張ればいいのだ。きっとこういう考え方が正しいのだと思う。

けれども私は未熟だから、「研究」と「人格」を分けて考えることができない。

研究がダメ = 研究ができない私がダメ = 私は能力のない人間

という図式から、なかなか離れることができない。

「この事実から、この仮説は言えないんじゃない?」という批判が、「お前の頭はどうなってんだよ、首吊って死ねや」に聞こえてしまう。そうやって勝手に苦しくなる。自分のすべてを否定された気になって、動けなくなる。

研究発表のもつ「責任」の重さが、のどにのしかかって、それでしゃべれなくなってしまう。

インターネットで調べた

この症状は、「本来の」M2の頃、つまり2年前ごろから出始めた。研究室ゼミを微妙な雰囲気にしてしまうし、何より自分が困るので、いろいろと調べてみることはした。

その結果、インターネットはこういう答えを返してきた。

「気の持ちようでなんとかなる」

「あなたの症状は不安からくるもの」とした上で、その不安を「気の持ちよう」で何とかしようとするアドバイス。

「場数を踏んで慣れる」「事前準備をしっかりする」「深呼吸」「みんなかぼちゃだとでも思えばよい」といったアドバイスがみられたが、残念ながら私には効果がなかった。

偏見であることを分かった上で言うと、「検索目当てで医療ネタを扱いたいが、重大な問題が起こってはいけないので、当たり障りのないことを言った」ようなイメージ。確かに毒にはならないが、まったく薬にもならないといったサイトが多かったように思う。

自己啓発セミナー

いわゆる「話し方教室」のようなもの。だいたい、上記の「気の持ちようでなんとかなる」とセットだったりする。
「あなたの症状は、場に慣れれば消えます!だからこのセミナーに来てね」という形で。

私はこういうセミナーに行ったことがない。だから何も言えないのだが、少なくとも私のケースでは、適切な相談先ではないように思えた。それなら研究室のメンバーにお願いして、個人的な練習に付き合ってもらうほうが、まだ効果がありそうに思える。

最終手段は「医者へ行け」

「気の持ちよう」系サイトが、いわば「最終手段」、別の言い方をすれば「免責事項」代わりに書くのが「医者へ行け」というアドバイスだ。

「あなたの(症状)は、もしかしたら(「ストレス」など、当たり障りのない内容)が原因かもしれません。そういうケースは(当たり障りのないリラックス方法)が有効なことも。とはいえ、あまり重大な場合はお医者さんに行ってくださいね。

↑これ。

まあ、困りごとを専門職に頼むのは間違いではないから、別にこれがダメというわけではないのだけれど……。私が知りたいのは、どちらかというと「この先の情報」なのだ。

精神的な症状は、身体的な症状と比べると、まだまだ中身がよくわからないイメージがある。

もちろん、実際には「身体的な症状」だって、そのメカニズムがよくわかっていないケースも多いのだろう。私は専門家ではないから、あくまで「素人のもつイメージ」でしかない。

しかし少なくとも私には、「頭痛 → 頭痛薬を服用 → 頭痛がなくなる」という図式は単純明快に「思える」。
一方、精神的な症状に関しては、「気持ちがふさぐ → (なんらかの薬)を服用 → (どうなる?)」という感じで、自分に対する治療イメージが持てない。

そうなると、私はどうしても腰が重くなってしまう。だからこそ、実際に病院に行く前に、どういった治療が行われる可能性があるのかを知りたくて、私は調べているのだ。しかし今回は、残念ながらそういう情報を見つけることができなかった。*1

「人に頼る」という方法

インターネットで調べる以外にも、たとえば以下のような方法をとってみた。

  • 友達に相談
  • 他大学の先輩に相談
  • 先生に相談
  • 大学のカウンセリングルームを利用する

しかしこれらは、いずれも「つらかった気持ちを話すことで、少しは楽になる」といった解決策だ。
いわば骨折した痛みをロキソニンで抑えるようなもので、折れた足そのものは全く回復していない。だから再び歩こうとすると、またしても転んで、よりひどい怪我を負うことになってしまう。

私の場合もそんな感じで、友達もカウンセラーさんも、根気強く話を聞いてくれた。それで確かに、気持ちは楽になる。
けれども根本的な原因がどうにもなっていないので、また別の機会にへまをやる。それでまたダメになる。そんなことを繰り返している。

解決策が見出だせない

とりあえず、現状、試してみた内容は以上のとおりになる。しかしいずれも芳しい結果はもたらしてくれず、保留となっている「医者に行く」しか選択肢はないのかも、と思っている。

しかし医者は魔術師ではない。たとえば盲腸の問題なら、あとはヨロシク〜ってな感じで任せておけるだろうけれど、今回の話は私自身がなんとかすべきものだ。だからなんとかしたい、なんとかしたいのだけれど……。

解決策の見えない問題は、出口のない森のようなものだ。書きながら、昨日の失敗を思い出して胃のあたりが気持ち悪くなってきている。

知り合いからは、環境を変えるという意味で一旦ドロップアウトすることも提案されている。折れた足で歩き続けるのはつらい。「いいタイミングなのかもなあ」などと思っている自分の、中途半端な覚悟までもが腹立たしい。

*1:私の調査不足の可能性も高い。