読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

夢を見た

不思議な夢を見た。誰か知らない人が、私に「何か」を手渡す夢。

封筒はずっしりと重たく、厚みは10cmに届くかというほど。
裏面には昔のペンネーム。自分が中学生ごろの筆致で、メッセージが書かれていた。内容は思い出せないが、「あなたに渡したくて、この人に預けました」みたいなことが書いてあった気がする。中を見る前に、目は覚めた。朝の6時半だった。

封筒の中は見なかったが、私にはあれがなんだか分かるような気がする。
中学生ごろということは、まだ私が小説を書いていた時期だ。今から思えば中学生丸出しのシナリオだったが、そこそこ楽しんで書いていた。A4で120枚はあったから、中学生にしてはけっこうな量だったと思う。慣れないワープロソフトで唸りながら書き、インクジェットプリンタで印刷した。
自分の書いたものが、活字となって吐き出されるさまを、満足げに眺めていたことを思い出す。

昨年にはいろいろあった。小学校以来の友人が、Web媒体で小説を書くプロになっていた。一緒にゲームのシナリオを書いた同級生は、某ゲーム会社に就職したらしい。知り合いの同級生が、けっこう有名な作家だったこともあった。

その一方で、私は編集アシスタントとして雇われた。丹念に原稿を読み、まちがいのない作品へ仕上げていく。その仕事はとても楽しいものだけれど、時折、自分が書き手にまわる夢が頭をかすめることはあった。「どうして私の原稿はここにないのか?」どうしても何もない。書いていないからだ。出していないからだ。世に存在しないものが、他人の目に触れるわけがない。それは、とてもシンプルな事実だった。

この数年で、私は一体、何回あきらめたのだろう。
応募しないまま捨てた原稿、応募しないまま捨てたアイディア。すべて漏れなく思い出せる。大事なものだったからだ。

ではなぜ出せなかったのか?怖かったからだ。大事だからこそ、「つまらない」と、「価値がない」と、断じられてしまうのが怖かったからだ。

ものを書くとき、私はいつも、自分の心の一番やわらかいところを剥き出しにしている気がする。攻撃される恐怖と、ぐじぐじしたものを形にする恥ずかしさ。そういったものと戦いながら、それでも書くことを試みている。

しかしその一方で、少しは知識のついた頭が、どこか冷静に「これは売れないな」と判断している。「さして個性的でもない」と判断している。「出すだけ無駄」と囁いている。それで私は臆してしまう。大切にしすぎて一度も着られない服のように、アイディアは今も、少しずつ腐っていく。

いまもう一度眠ったら、夢の続きが見られるだろうか。いや、きっと見られない気がする。
私は老いる。時代は進む。これから先の人生で、今が一番若いのだ。「もし」はやめて、この長い人生を、夢を見ているつもりで生きるしかない。
もう二度と、中学生の私が、会いに来なくてもいいように。