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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

それでも私はサンローランの口紅を使う

ファッション

私の顔は美しくはない。少なくともよそで顔を褒められたことはないし、芸能事務所からスカウトが来たこともない。良くて中の下、悪けりゃ下の下、そのくらいの顔であろう。

ルッキズムをどれだけ声高に否定しても、世の中はそうやって動いているのだから「適応」しなければしんどい生き方を強いられてしまう。美しく生まれなかった私は「顔で判断しないで!」とぜひ言いたいのだけれど、そう主張したところで、恐らくは「必死なブスは醜い」で一蹴されてしまうだろう。

しかし、それでも私は大好きなサンローランの口紅を使う。正直、私の顔のレベルでは、使うのがたとえ100円ショップの口紅だって大差はないだろう。それでも使う。それは私が「装う」という行為を、外に向けた行為ではなく、内に向けた行為、自分のための行為だと信じているからだ。

私は長らく服に気を使ってこなかった。とりあえず楽に動ける服ならなんでもよくて、寒がりだから暖かさも一応気にはしておく。その程度のことだ。

大学の同級生たちはみな思い思いにオシャレを楽しんでいて、やれ、どこそこのバッグが良いの、どこそこの化粧品が良いのと情報交換していた。私はその輪にまったく加わることがなかった。むしろ流行に「流されている」ように見えて、多少は軽蔑すらしていたかもしれない。大した思い上がりだと今では恥ずかしくなるけれど。

そんな私の意識が変わったのは、ロリィタファッションと出会ってからだ。
漫画やアニメの影響で前々から興味はあったけれど、勇気が出なくて(あと高くて)手が出なかったものだ。せいぜい「画像検索」をして、ああ綺麗だなとうっとりする程度。そんな感じの距離感だった。

しかしある日、いつもと同じように主要メゾンのWebサイトを訪問していたときのこと。ちょうど正月セールか何かをしていて、普通は3万円以上するような洋服が1万円代まで値下がりしている。デザインも私の好みに合ったものだ。幸い、祖父母がくれたお年玉もある。買えなくはない、しかし似合うかどうか……。逡巡したが、正月特有のゆるんだ気分もあって、えいやっと「購入」ボタンを押してしまった。それがすべての始まりだった。

手元に届いた洋服は夢のように綺麗だった。さらさらと流れるような光沢、たっぷりと膨らむスカート。ボディラインにぴったり添う縫製。こんなにも胴を締め付けられるのは、成人式の振袖以来のことではなかろうか。

しかし私はそれすらも心地よく感じた。初めてロリィタ服を手にした私は当然、パニエや小物の類も持っていなくて、雑誌に載っているような素敵な着こなしはできなかった。それでもそのとき、人生で初めて、後ろ向きな強迫観念ではなく、前向きな向上心をもって、美しくなりたいと思ったのである。

ロリィタファッションは「珍しい服」だ。少なくとも日常着にしている人はそこまで多くはないし、だからこそ主要なメゾンがばたばた潰れた時期もあった。そういう格好で街を歩いていると、やはり奇異の目で見られることになる。「主流から外れた人」というカテゴリーで見られてしまう。けれども私はてんで平気だった。私は私の好きな服を着て、私のために歩いている。ロリィタ服の力で、そういう意識を与えられていたからだ。

ロリィタ服を着るとき、私は自然と強くなれる。私は自分のために生きていると思える。しっかり前を向いて、お洋服に恥じないような、背筋を伸ばした歩き方をしようと思える。服は私の外側を包むだけではなく、行動までも変えてしまう。これはまさに、「装う」という行為の本質ではないか。

ロリィタを楽しむようになってからは、流行ファッションを含め、色々なファッションを楽しめるようになってきた。流行ファッションに身を包むとき、それは周囲や時流への協調を示すことになる。礼装は相手への気配りや礼儀作法を示すものだろうし、モードならデザイナーの思想への共感といったところか。

そうやって状況に合わせて自分の「顔」をすげ替えられることは、考えてみれば恵まれた話に思える。たとえ肉体を改造しなくとも、外表面を交換するだけで、違った自分になれるのだから。今日は愛され系の私、明日は強い私、明後日はデキる私……と、スイッチを切り替えるように自分を交代させる。「服を変える」だけで、そんなことが可能になるのだから。

私がサンローランの口紅を、しかも401番というアイコンリップを塗るのは、つまるところそういう理由による。何色にも染まらない黒のボトル。弱い自分にプライドを授ける赤。そこに強く刻まれるYSLの文字。イヴ・サンローランの持つ力を借りて、強がりながらも風を切って歩きたい。他人からの評価は、そのあとの話だ。

「シャネルのリップバーム」議論が紛糾し、「誰がシャネルをつけるべきか」論が展開される中で、そんなことをそっと思った。