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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

メガロフォビアの憂鬱

この世には数え切れないほどの恐怖症がある。
よく知られたもので言えば、アゴラフォビア(広場恐怖症)、アクロフォビア(高所恐怖症)、タナトフォビア(死恐怖症)、ベロネフォビア(先端恐怖症)、トライポフォビア(集合体恐怖症)など。ちょっとニッチなもので言えばアラクノフォビア(蜘蛛恐怖症)、コルロフォビア(道化恐怖症)なんかがあるだろう。
そして私は、メガロフォビア、巨大物恐怖症である。

巨大物恐怖症とはその名のとおり、巨大なものに対する恐怖症のこと。メガロフォビアの人間は巨大なものを見ると、内臓がフワフワしているような、すくむような恐怖を覚えてしまう。それが何に由来するものなのかは説明できない。けれども、一種の本能的な怯えを呼び起こされてしまう。

ちなみにメガロフォビアは、さらにいくつかの下位分類に分かれているらしい。たとえば惑星や雲などへの天体恐怖(アストロフォビア)、(巨像や建築物など)見上げるほど大きなものへの恐怖(ルックアップフォビア)。人によって、「どのジャンルに特に恐怖を覚えるか」というポイントは違うようだ。下にいくつか、代表的なものを示してみる。

《母なる祖国像(ロシア、ヴォルゴグラード ※旧 スターリングラード)》

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下のほうにいる人物との大きさの違いが、なんかもう無理。あえて怖いポイントを説明してみるなら、このいかにも動き出しそうな造形が原因かもしれない。今にもこの剣を振り回しながらこちらへ向かってきそうで。

《革命のモニュメント ドゥシャン・ジャモニャ作(クロアチア ※旧 ユーゴスラビア、ポドガリツァ)》

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大きさもそうだが、今にも倒れてきそうで、なんかもう無理。どうしてこんなに不安定な造形にしたのだろうか。そのうえ真ん中の目玉っぽい部分が微妙に「生きてる感」を帯びて怖さ倍増。このモニュメントの下のほうへ行く勇気は、未来永劫、絶対に出ない。

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メガロフォビアにとってはどんなホラー映画よりも怖い映像。海王星あたりから胸中の雲行きが怪しくなってくる人も多いのでは。げんに書いている私ですら足裏の汗が止まらない。木星土星のスケール感がおかしい。

さてこのメガロフォビア、ややこしいことに、「怖いとわかっていてもなぜか画像を検索しちゃう」人がけっこういるらしいのだ。怖いのに、ゾクゾクするのに、なぜか検索してしまう。それはまるでホラー映画を見ているような、「安全地帯から眺める危険」。絶対に安全だと分かっているからこそ、飛び込めるスリルなのかもしれない。フォビアとマニアは紙一重。なんだか奥深い話だ。

私がメガロフォビアを発症したのは、おそらくとても小さいころ、懐中電灯との接触がきっかけだっただろう。光はいつも、子供にとって不思議なものだ。私は自分の持った懐中電灯の光が、遠く、何十メートルも離れた山の木々を照らすのを見た。それに心底驚いた。光は無窮のかなたまで届いてしまうのではないかと思った。ふだん自分が知っている物理現象、ボールを投げるとかそういった現象には一種の有限性があった。しかし光にはなかった。それがとても恐ろしくて、何度も確かめるように遠くの山を照らし続けていた。

しかも懐中電灯がもたらしたエピソードはそれだけではない。ある日、おそらくは父親や叔父たちと山へ虫捕りに行ったときのこと。私は無邪気に懐中電灯を手でふさいだ。その瞬間、自分の手の影が何メートルにもなって、自分をつかみにかかってきた。その情景は今でも脳裏に焼き付いている。もちろん、それが単なる影であることはすぐに分かったが、その巨大な手はいまにも自分をつかんでどうにかしようとしているように思えた。それ以降、「光に引き伸ばされる影」というのは、私にとっての恐怖の対象であり続けている。

メガロフォビアというのは、突き詰めて言えば「圧倒的な力の前に抗うことができない恐怖」なのかもしれない。

私たちの身の回りには、私たちがなんとか制御できるものばかりが転がっている。パソコン、犬猫。これらは大きさの上でもなんとかなりそうだ。車やバスは人より大きいが、人の操作なしに動くことは(今のところ)ないし、人より大型の動物はふつう、動物園などの特殊な場合を除いて日常で見かけることがない。というか、そもそも「動物園への隔離」というのがすでに、恐怖の表れだと考えることもできる。

それ以上の大きさとなると、建物、自然物、天体、となっていくわけだが、こうなってくると我々メガロフォビアの恐怖の対象に入ってくる。

アンコントローラブルな物体とそれがもたらす恐怖。それがメガロフォビアの正体ではないかと今では思っている。

ちなみに私にはもうひとつ、恐らくメガロフォビアよりも強いフォビアがある。身の回りに同じフォビアだという人を見かけたことはないから、ちょっと珍しいものなのかもしれない。しかしこれは未来永劫、誰にも言うことはないだろう。なぜならそれはとても手に入りやすいので、それを武器に脅されたら、何でも言うことを聞いてしまうだろうから。