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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

イリヤ・レーピンの描き出すロシア・リアリズムの世界

中学生のころは、授業中に「便覧」とか「資料集」を眺めるのが好きだった。それらには教科書とはまた違った楽しみが備わっている。教科書が「目的地までの道」だとすれば、便覧を眺める行為は「道のまわりに何があるかを眺める行為」ということになるだろう。そして大抵の場合、寄り道は楽しいものである。

得意だった国語や理科の資料集はもとより、私が好んで開いたのは「美術」の資料集だった。印象派とかロマン主義とか、理論的なことはまったく分からなかったが、「この絵、好きだな」という感想を抱くことはあった。(もちろん逆に、「よくわかんないな」というものも。)そしてその中のひとつが、《ヴォルガの船曵き》であった。

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画面全体から立ち込める、労働者の悲哀と疲労と諦観。凄みのある絵だ。はっきり言って、中学生が好んで見る類の絵画ではないかもしれない。

それでもなぜか私はこの絵に惹かれた。胸の奥へ焼きついて、大人になっても記憶から離れなかった。「ヴォルガ」がロシアの地名であること、この絵の作者であるイリヤ・レーピンという画家が、ロシアを、そしてリアリズム絵画を代表する巨匠であることを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。

イリヤ・エフィーモヴィチ・レーピンという画家は、ウクライナ屯田兵の家庭に生まれた。イコン画家のもとで修行を積んだあと、ロシア帝国美術アカデミーへ入学。アカデミーでの卒業制作が金賞を受賞したことで、アカデミーからの給費留学生としてヨーロッパに滞在する権利を得た。給費留学生として与えられた期間は6年間。しかしレーピンは、このうち3年間をロシア滞在に費やしてしまう。そしてその3年間を費やして描いた絵こそが、《ヴォルガの船曵き》だったのだ。

改めて経歴を知ると、なんという才能だろうと思う。自分が院生だからついつい比較したくなってしまうのだが、自分がいま書いている修士論文がなんらかの賞を受賞して、傑作と崇められる未来など私には到底想像することはできない。

彼・レーピンの活躍はもちろん、これで終わるわけではない。《ヴォルガの船曵き》を完成させたあとも、彼は次々と素晴らしい作品を発表していく。

《皇女ソフィヤ・アレクセーエヴナ(1879)》

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ソフィヤ・アレクセーエヴナはピョートル大帝の異母姉。ピョートル大帝がまだ小さかった頃、摂政の座についてロシアの政権を掌握した人物である。

当時のロシア皇族の女性は政治に関わることが許されていなかったらしく、皇女ソフィヤの摂政政治はボロクソにけなされることになる。そしてピョートル大帝は成長し、ソフィヤは失脚。ノヴォデーヴィチ女子修道院で無理やり修道女にさせられてしまった。

この絵に描かれているのは、ソフィヤがノヴォデーヴィチ女子修道院へ送られてから1年後のシーン。窓の外には首を吊られた男、部屋の奥には怯えた女の姿が見える。ソフィヤ失脚に伴い、ソフィヤ派の銃兵は処刑され、召使は拷問された。首を吊られた男もおそらく、ソフィヤ派の銃兵であろうと考えられている。そんな状況に追い込まれてなお、腕組みをしてこちらを睨めつけるソフィヤの迫力には震え上がってしまう。

《イヴァン雷帝とその息子イヴァン(1885)》

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これも《皇女ソフィヤ・アレクセーエヴナ》と同じく「怖い絵」として有名。その激しやすく残虐な性格ゆえ「雷帝」と恐れられるイヴァン4世が、息子であるイヴァンを錫杖で殴り殺してしまったシーンである。

事件の発端は雷帝イヴァンが、息子の妻・エレナを殴りつけたことにある。そのときエレナは妊娠中であったため正装をせず、リラックスした服装をしていたという。雷帝は激怒し、エレナを殴打。思わず止めに入る息子。そしてそんな我が息子をも、雷帝はその錫杖で殴打し、ついには殺してしまったのである。

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レーピンの絵を見て思うのは、とにかく人物の表情がすごいということ。この絵でもまた、取り返しのつかないことをしてしまい、呆然とする雷帝の表情に引き込まれてしまう。息子のこめかみを必死におさえる手、というポージングもいい。なおこの事件以降、然しもの雷帝も罪の意識に苛まれ、心身ともに衰えていったのだという。

《何という広がりだ!(1903)》

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今度はうってかわって明るいテーマ。手元にある『国立ロシア美術館展』目録によれば、執筆理由は「ただ単にフィンランド湾に面するクオッカラを訪問した時に受けた印象があまりにも強烈であったから」とのこと。

しかし批評家によれば「若い男女が荒波にも負けず、楽しげに笑いあう」というモティーフから「ロシアの若者の持つエネルギーと希望」を感じさせる絵だとのこと。レーピンの作品の中には、特定のストーリーを描いているように見えて、その当時の民衆の感情を代弁しているような絵がある。この《何という広がりだ!》も、そんな作品のひとつなのかもしれない。

さて、代表的な作品をいくつか見たところで、冒頭で紹介した《ヴォルガの船曵き》へ立ち帰ってみよう。

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何度見てもショッキングなモティーフだ。虚ろな目をした農夫たちが、衣服と呼ぶにはあまりにもみすぼらしいぼろ布を引きずって歩いている。そのうしろには巨大な船がくくりつけられている。しかし(絵の中には描かれていないが)この河沿いには貴族の邸宅が立ち並んでいて、きらびやかな衣装を身にまとった人々が楽しげに川の景色を楽しんでいたという。

まさに階級間の緊張、階級間の搾取の光景がそこにある。しかしレーピンはそこに一人の青年を見出す。絵の中央、一人だけ少し明るめの色彩で描かれている青年である。カニンというこの青年の顔つきは、レーピンの心へ鋭く突き刺さった。

実にこの少年なのだ、私がそれと並んで足をそろえていったのは…額に突進する眉に迫る眼の何という深さ。そして額は—大きく賢く、知的な顔だ。これは鈍物ではない…
(大月源二『レーピン』)

労働の重苦の中にあってなお、まっすぐに大地へ立ち、意志の力をのぞかせるカニンは、民衆のもつ「可能性とパワー」の象徴のように感じられたのかもしれない。

そしてレーピンは、1871年の習作を経てついに《ヴォルガの船曵き》を発表する。大月源二はその衝撃を、以下のようにまとめている。

このようにしてレーピンの「舟曳人夫」は「人民の中へ!」という時代の前衛的な見解を、舟曳人夫の重い労働への深い同情と、人間の醜い搾取の形にたいする摘発的な感情との中に力強く鳴り響かせたばかりでなく、美術における現実主義のはちきれるような力でもって、同時代人をひどく驚かしながら、当時のロシヤ美術界の大事件となったのである。

レーピンという画家に関しては、まだまだ語り足りないことがたくさんある。トルストイの肖像、《思いがけなく》、《トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージエ・コサック》、みな傑作ばかりだ。

それから、レーピンのとった立場の絶妙さについても語りたい。印象派との関わり、移動派への参加・脱退、社会主義的な民衆への寄り添いと、その一方で皇族・貴族といった権力者側の人々も描き続けたこと。知れば知るほど奥の深い画家だと思う。そのうちまた、他の絵についても書きたいと思っている。

ヨーロッパ近代絵画を華やかで美しいアルプスの山脈に喩えるとするならば、ロシア近代絵画の威容は、厳しくも雄大で素朴な魅力をもったロシアの大自然の景観に喩えられるかもしれない。
(五木田聡「美と真実の調和をもとめて—レーピン絵画への招待」(2007)『国立ロシア美術館展』目録より)