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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

「いいちこ」の広告センス良すぎ問題

芸術(アート) 雑記

雑誌の中では『ナショナルジオグラフィック』が好きだ。理由は、なんか賢くなった気がするから。というのと、写真がとにかく綺麗だから。よく分からないけど、「ナショジオのカメラマン」という肩書きがあれば、多分どこでもやっていけるんじゃないだろうか。みんな大好きWikipediaによると、1枚の写真につき2〜3万枚ほど撮影しているらしい。その中から選りすぐりのものを、ばん!と見開きで出してくるのだ。もはや絵画にしか見えないようなオセロットの写真を見た瞬間、写真のポテンシャルはすごいな、と素直に思った。

さて、大学のカフェテリアでいつものようにナショジオを読んでいたときのこと。とんでもなく美しい写真が目に入った。

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これはいったい、いかなる社会問題を提起しているのか?(ナショジオは社会問題をよく扱う「高級紙」。)その下の文を読む。「愛していたら枯れるところも見てください。」んん?問題提起じゃないの??そこでとなりのページを見ると、目に入ってくるiichikoの文字。ここまできてようやく、この美しい写真が三和酒類いいちこ」の広告であったことを私は理解した。

おそらく、私が体験したこの「流れ」、広告にとっては理想の「流れ」なんじゃないだろうか。パッと見では広告だとわからないまま、知りたくなって目で追いかけてしまう。その結果、企業なり商品なりの広告だとわかる。センスがいい広告だなということで、企業のイメージも上がる。

最近では、スマホにおける追尾型広告、胸糞悪いマンガ広告、ステマ広告問題などでめっきり悪者となった「広告」だが、いいちこの広告はそれらと違っている。たとえ広告だとわかっても目で追ってしまう。

この「目で追ってしまう」効果を、「やたら指の操作についてくる」とか「やたら胸糞悪い1コマを何度も見せつけられる」とか「〜終了な件wwww」とかでやられると気分も悪いが、綺麗な景色と情感にあふれたコピーでやられるといいちこ、すごいな」と感動してしまう。ナショジオに広告を載せられるのも納得だ。もはや紙面の余計者ではなく、構成要素としての一角を担っているようにすら思える。

せっかくなので他のもいくつか紹介しよう。ちなみに、三和酒類の公式サイトでは「いいちこ」の広告がすべてアーカイブされているだけではなく、使われている写真を壁紙としてダウンロードすることができる。すごいぞ三和酒類。広告ってレベルじゃねーぞ

2016年8月 PERSON 300mL広告

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2014年8月 PERSON 300mL広告

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2012年3月 PERSON 300mL広告

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この3枚は、さっき私がナショジオで見つけたのと同じ「いいちこパーソン」の広告。パーソンって言うからには一人で飲む酒なので、自然と誰かを思っているような、寂しい感じのコピーが多くなる。

一方、900mLの「いいちこ25度」を紹介した駅貼りポスターはこんな感じ。

2015年5月

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2012年5月

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2012年12月

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相変わらず寂しい感じは少しあるのだが、身にこたえる寂しさというよりはむしろ、誰かと一緒に語り合えるようなぜいたくな寂しさ、ストーリー化された寂しさだ。「こないだ一人でどこそこ歩いてたんだけどさ、なんか寂しくなっちゃって」「アハハ」ってな感じで。それこそ「いいちこ」を飲みながら言えてしまうような寂しさだ。状況テーマソングのときも書いたように、ストーリー化できる心情はさほどつらくはない。本当につらいのは、モヤモヤとして形のない、人に伝えられない寂しさだと思う。

さて、いいちこについて調べていると、これらの傑作を生み出したデザイナー・河北秀也氏の講演レポートに行き当たった。氏が「物学研究会」で2006年に行った講演のレポートらしい。このページの「108」をクリックすれば、PDFファイルを読むことができる。この講演内容自体、もう示唆と知見に富みまくっているので一読の価値あり。

物学研究会

私たちが写真を見て「うーん、古き良き日本の原風景ですなあ」とか思っていたのはすべて外国の景色だったのか。いいちこの例もそうだけど、「古き良き日本の〜」が案外、最近のものだったり、外国のものだったりすることが最近いろいろ分かってきた。切ないものだね。

ともかく、このPDFでも結論として書かれているけれど、

僕は、ブランドとは企業がつくるものではなく、そ の製品やサービスの価値を認めてくれる「人の心の中に生れるもの」と考えています。なので、ブラ ンドを意図的に、戦略的に創ろうと思っても無理だと思うんです。(中略)ブランドは所詮消費者のものです。だから消費者がいいものだと認めてくれるようなものをつくり、人々の記憶に深く刻まれていくことが大切なのだと思います。

いいちこ」の広告はこういう意識をもって作られている。そしてそれを「長く続けている」。これが結構大事で、最近は何にしてもともかく、即効性が重要視されている気がする。ロングスパンの実践は、先の効果が予測しにくい。もしぽしゃったら、それまでにかけてきた時間もお金も「無駄」になってしまう。だからすぐに効果がほしい。それで表現は過激になる。快だけではなく不快でもいいから、短時間で人の注意を集め、意識にブランドを「叩き込んでいく」。そんな広告が溢れている。

対する「いいちこ」の広告はゆるやかだ。忙しく駅を歩いているだけでは、目にも留まらないかもしれない。せいぜい「きれいな写真が貼ってあるな」くらいにしか思わないだろう。

しかしそれが何年も、何十年も行われることによって、「そういやこの写真はなんなんだ?」と興味を持つタイミングが生まれ、「これが広告?」という驚きとともに「いいちこ」ブランドが強烈な意味を持って脳裏に刻み込まれる。そして無数にも思えるリカーショップの棚から、「いいちこ」を選ぶ理由となっていくのだ。たとえば海辺で、たとえばベランダで、たとえば車中で、「いいちこ」を飲むのもいいかな、と思えてくる。「いいちこ」広告が見せるストーリーの一部になりたくなる。アートと資本主義がドラマティックに融合している。普段は一滴も酒類を口にしない私だけれど、めずらしく、焼酎の味が知りたくなった。