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大学院生のブログ

人生まるごと今後の課題

修士課程で留年するということについて(2016年の振り返り)

留年エントリ

2016年は留年とともに始まった。最近、京都大学学生総合支援センターの「留年について」というページがTwitterなどで話題になったが、修士課程の留年について、自分自身の1年間を振り返るためにも書いておこうと思う。

留年について-カウンセリングルーム(京都大学)

楽しい話ではないので、なるべく簡潔に、さわやかにまとめるように気をつけたい。
今回は長くなりすぎて、それぞれの問題点に対しての具体的な解決策を書くことができなかった。追い詰められている人は、とりあえず最後の部分だけ読んでもらってもいいと思う。

なぜ書こうと思ったか

周りの人のおかげで、私はほとんど立ち直れた。修士論文も、このまま行けば無事、2週間後に提出することができるだろう。
そんな中、私もお世話になっている「学生相談室」主催の「情報交換会」というイベントに参加した。
イベントの趣旨は、「もう締め切りは迫っているのに進まない!このままでは留年するのでは?」とか、そういう不安を語り合うこと。そして修士課程留年について話したら、参加者の人から「ほっとしました」と言っていただくことができた。私のみっともない実体験が誰かの役に立つのなら、書く価値はあると思った。

私について

大阪府立大学を出たあと、京都の大学院に進む。文系/理系で分けるのが微妙に難しい分野。
研究室へ出てくるのは任意。所属院生は20人くらい。大所帯。
入学に伴って初めて実家を出る。ちょっと病気がち。かなり貧乏。

留年の原因

ひとつには絞りきれないが、大きかったものとして以下の5つがあるだろう。それぞれについてはあとで詳述する。

  • 初めての一人暮らし
    正確には弟と二人暮らしだったが、お互いに家を出るのが初めて。
    研究、家事、新しい土地への適応を同時にこなす必要があった。

  • 心身の病気
    卵が先か鶏が先か、という問題にはなるのだが、
    心が弱る → 人と会わない → ますます心が弱る
    という感じで、みるみる調子が悪くなっていった。

  • 家庭環境
    母親は8歳のときに死んだ。育ててくれた祖父母が、そろそろ介護を必要とする年齢に。
    とくに祖母の認知症がかなり悪化。実家に帰るたび、「私は大学院なんかに来ている場合なのか……?」と罪悪感を抱く。
    父親とは「普通に仲が悪い」。多分アル中。よく怒鳴られるし、殴られる。「新しいお母さん」はころころ変わり、今は外国人の女性と再婚している。

  • 貧乏
    家庭が貧乏で、実家からの仕送りなどは望めない状況だった。
    学費免除が受けられたので、学費は無料。生活費は奨学金バイトで賄う。
    今思えば、「電気も水もタダじゃない」ということは、もう少し早く体験しておくべきだった。

  • 自身の能力のなさ
    何よりもこれ。
    大学院の勉強は、当たり前だが難しい。文系修士が理系修士に比べて少ないことからも分かるように、みんな「勉強」ができるのは当たり前で、それ以上のことをやりにきている。普通のがんばりでは、置いていかれるのは当然。
    そして私には「バカだから分かりません。教えて」とアドバイスを乞う素直さが欠けていた。まさに「尊大な羞恥心と臆病な好奇心」がこの状況を作り出したといえる。

初めての一人暮らし

実家の親は厳しく、外泊すらろくに許してもらえなかった。その状況で突然ひとり暮らしを始めたので、当然、うまくいかないことばかりになる。ゴミは出さないと減らないんだねとか、放っておくとゴキブリが出るんだねとか、知識としては持っていても体験したことのなかったトラブルに直面するはめになる。
こういった細かいストレスは、知らない間に心身の体力を奪っていくものらしい。できれば大学院入学と「同時」ではなく、せめて3ヶ月くらい前からひとり暮らしをしておいたほうがよかったかもしれない。お金がないので無理だったけれども。

とくによくなかったのが食事環境で、これまでろくに自炊をしたことがなかった。
その結果、食べるものがどうしても「サッと食べられて安いもの」になる。代表例はパンとか。洗い物がいやで、鍋すら使いたくなかったので、カップラーメンはお湯を入れずにかじっていた。
こういう生活をしていて健康になるはずがなく、アパートがある山の上まで歩いて登ることができなくなってきたあたりで「ヤバい」と気付いた。

心身の病気

あまり細かくは書きたくないが、体質で済まされるか病気扱いになるか、ギリギリのラインで持病めいたものがある。その影響で体が弱い(のに、ろくにメシを食っていなかった)。

引っ越しとともにかかりつけ医が遠くなったので、新しく病院を探した。しかし、「そんな薬、扱ってるとこなんて京都にはないですよ?うちでは無理。他んとこ行ってもらうしかないですね」などと言われる。

あとはよくある、ADHD → 自己肯定感低下 のパターン。必要な手続きや書類の準備がろくにできない。物事の優先順位がつけられず、大事なことはすべて期限ギリギリ。
やることの種類が増えると頭の中がパニックになり、「とりあえず逃れたいので寝る」。常に追い詰められた状態になる。

家庭環境

当たり前のことだが、親から応援してもらえない選択をするのはしんどい。そもそもうちの家族は「大学院」の存在すら知らなかった。そういう家族から、まったく金銭を得るあてのない「院進学」キャリアを応援してもらうのは難しいものがあった。

おそらく、親が思う最高の選択肢は「珍しく大学まで出た私が、何らかの就職をして家に金を落とす」というものだっただろう。しかし私は勉強したいと思ってしまった。その結果、もっとも(現時点で)所得が低くなる選択肢を選んでしまった。当然、親との関係が悪化するのは避けられなかった。

貧乏

「家庭環境」にもつながるものがあるが、進学するにあたってお金の面は避けて通れない。
同級生がバシバシお金を稼いでいく中、自分の収支はむしろマイナスだという現実に立ち向かうには、そもそも実家がお金持ちだとか、親が応援してくれているとか(だいたい「実家がお金持ち」とセット)、自分の業績がすごくあるとかいった要素が必要になる。じゃないと罪悪感に押しつぶされてしまう。

博士課程に進学した先輩たちが「周りの人はもう出世とかしてて、家庭とか持ってて、経済力の差がヤバい」とおっしゃっていた。それは修士2年間ですら明確になっていく。ひさびさに再会した仲良しの同級生が、とてもまともで輝いているように見える。会社での話を聞くたびに、「ああ、この人は私と違って、きちんと社会の構成員になっているんだ」みたいな、勝手な劣等感をこじらせていく。そのくせ友達からは「学生のほうが自由でいいじゃん」とコメントされることもある。誰も悪くない。強いて悪い人物を挙げるとすれば、それは進学を選んだ私ということになってしまう。

自分の能力のなさ

最近、研究能力とは「素直に誰かにたずねる力」なのではないかとすら思っている。

大学院に来るような人は、みんなどこかで「ゆーてワンチャンある」と思っているんじゃないだろうか。ひと歴史作ってやるぜくらいに思っているんじゃないだろうか。その考えは即刻捨てたほうがいい。
たいがいの場合、院生ふぜいが考えるようなことは、へたしたら何百年も前に誰かが思いついてやっている。もしもそうでなかったとしたら、自分のリサーチ不足を疑ったほうがいい。
だから、「ぼくのかんがえたさいきょうのアイディア」がすでに行われていたとしても、何もショックを受ける必要はない。

と、研究メソッドに関しては、書籍にせよネットにせよたくさん情報があるのでこのへんにしておく。私が言いたいのは、「しんどいときほど人に聞こう」ということである。これもまた言い尽されていることかもしれないが、これだけは一番大切だと実感したのでもう少し書いておきたい。

私の周りにいる人たちを観察していると、優秀な人には、立場が学生だろうが先生だろうが「わからないときはわからないと言い、教えを請う」という共通点がある。「こんな初歩的なことを今さら聞くのは……」といった迷いが感じられない。業界トップクラスの先生でさえ、妙なプライドで知ったかぶりをしない。というか、その姿勢をとり続けてきたからこそ、いま業界トップにいるのだろう。

「ゆーてワンチャンある」と思いたい、夢にあふれた学生ならば、誰だって他人から「こんな初歩的なことを知らないのか」と言われたくないはずだ。自分だってろくに分かっていないのに、「こんなの知らないの?」と言うことで上に立ちたいタイプもいるからややこしい。

けれどもそういった虚勢は、いつか自分の首を絞めてしまう。分からないから先に進めない。人に聞かなきゃいけないけど、プライドが邪魔をする。「こんなのも分からないの?」という言葉が自分から発され、自分に突き刺さる。そうしていつの間にか留年してしまった人間、私のような人間はほかにもいるんじゃないだろうか。

脱出のきっかけ(悩んでいる人へ)

修士課程を振り返ってみて、私が回復へ進むターニングポイントとなったのは、同期にゴミ溜めのような部屋を見られたことがきっかけだと思う。それまでの私は、「なんでもできる人」「よくできる人」であろうとしてきた。優等生であろうとしてきた。だから人に頼ることができなかった。むしろ頼られたかった。
けれどもそれは、ゴミが溜まり、ゴキブリの発生した部屋を見られたことによって不可能になってしまった。もはや風呂に入ることもせず、寝間着で泣いている姿を見られてしまったあの日から、私はむしろ解放された気持ちになって前へ進むことができたのだ。

こうした虚勢に自縄自縛になっている人は、悪いことは言わないから早く誰かに助けを求めてほしい。親でもいい、友達でもいい、先生でも医者でも寺でもお隣さんでもなんでもいいから「助けて」と言う勇気を持ってほしい。案外、まわりの人はあなたを見ているし、「どうすればいいんだろう」「いつ声をかけようか」と様子をうかがっている。あなたが必死に守っているプライドは、あなたを不幸にしているのだ。

私が幸福だったことは、指導教官や先輩に恵まれていたことだ。上記の「ゴミ溜め発見事件」が起こってからというもの、指導教官は恐ろしく忙しいスケジュールの中、私のために多くの時間と労力を割いてくださった。病院を探し、私に付き添い、まる1日を私の受診に費やしてくださったのである。優等生でありたい私にとって、「指導教官の時間を奪った」という事実はかなりショッキングで、だからこそきちんと通院し、治療を受けることができた。いま書いている修士論文は、とりあえず最初にできそうな恩返しだと思って書いている。長い時間をかけて恩を返していきたい。

あとは同期や、他大学の先輩方。研究上の問題はもちろん、長々と雑談に応じてもらったり、気分転換に連れ出してもらったりした。これも、勇気を出して「私、あかんねん」と言うことができたからだ。一度言ってしまえばあとは楽で、「おう、何があかんのや」と応じてくれた。あとから周囲に話を聞いたところ、「心配はしてたけど、触れていいのか分かんなかった」という人が多かった。私が人に恵まれていたというのはあるだろうが、積極的にSOSを発信することで、道が開けることもあるのだ。

いまの私はというと、ちょっと人に頼りすぎじゃないかなと思うくらい人に頼りまくっている。「先輩、ここ半角スペースいりますか」「いる」こんな調子で。もちろん自分で調べることだって大事だが、それは元気なときの話だ。元気がないときは、ともかく人に頼りまくってでも進めるしかない。「xxが進んでいない」という状況が、もっともっと自分の首を締め付けるようになってしまうからだ。
もう2016年も終わってしまうが、こんなみっともない実体験が、誰かがほっとするきっかけになればいいなと思う。自分はまわりに助けてもらった。今度は誰かを助ける2017年にしたい。